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「地球へ…」第22話感想(その2:キスマツ編) [地球へ…]

 昨日書いた22話の感想が、我ながら余りにも淡々としているので(苦笑)脳内会議が開催されたのですよフロイライン。
「キスマツ者としては、マツカがいのちを落としたというのに、余りにも淡々とした感想だと思います」
「しかしながら、暑苦しくホモ語りをしたらそうでなくとも残暑が厳しい中、世の中のフロイラインには不快に思われるのではないかと。ていうか、ヲタクだから語りだすと長いし」
「今更何を仰られる。某がホモスキーであることなど、既に皆様方は承知の上であろう」
「戦国BASARAで『半兵衛可愛いよやばいよ』幻水で『ゲオルグ×王子前提のギゼル×王子最高!』FF7で『ビバセフィクラ!』…等々、今まで散々騒いでいながら、何を今更(嘲笑)」
「そもそも、このBlogのタイトルそのものが『腐女子つれづれ日記』ではありませぬか」

 それもそうだよね!今更気にしても仕方ないよね!

 という訳で、「キース×マツカの視点から見た22話感想」です。ホモが嫌いな方は、ブラウザクローズプリーズ。

「私の心に触れるな!」+平手打ち、と「戦争が終わったら始末するかも発言」は、今回ではなくて2~3話前にやって欲しかった、と思いました。
 私は原作の「お帰りなさい、サムの様子はどうでしたか?」のシーンでキース×マツカに転んだのですよ。原作では20年以上もずーっと傍に居た訳で、その積み重ねてきた日々の中で、「帰宅したキースに『サムの様子はどうでした?』とマツカが問い掛けても、キースは答える、という関係が醸成されている」と解るから。それに対して、キースが言葉ではなく思念で答えているのは、「サムの死」を口にはしたくはない、けれどもマツカの問いかけに対して返事をしている、という非常に深い信頼関係を感じるのです。
 そこからずーっとキースはマツカに己の心を曝け出して読ませている訳で、何よりも「ミュウの女であるフィシスが己の母親であること」を読ませていることに素直に驚いた。「親友であったサムの死」という心の衝撃はあるにせよ、サムが亡くなった哀しみ、サムが愛していた母親、自分自身の内部にも在る母親への切ない思慕の感情、そういったものをあそこでキースは全てマツカに読ませた、その結果が「彼についてきて良かったのだ、満足だ」なのだと思います。
 キースがサムの死を心から哀しみ、サムと同じ様に己にも母親への切ない愛情があること、そういう優しい人間であるということ、を悟ったからこそマツカはキースの傍に居て良かった、と心から思い、そして彼を庇って死んでいったのではないかと。キース×マツカの何が哀しいって、「20年以上も一緒に居ながら、初めて解り合えたその数時間後にはマツカは死んでしまう」だと思うんだけれど、今回のアニメ版だと「死んでから初めて解った」なのがちょっと切ないな~、と。
 平成アニメ版のマツカは本当に毎回美人さん(苦笑)に描かれていて、その点は素直に良かったなあ、と思うんだけれど。「悲しんでくれた」でマツカの瞳から涙が零れ落ちるのと、マツカの目をキースが閉じてあげる演出はとても良かった。…ただ、良い点であると同時に悪い点でもあるんだけれど、セルジュが居ると、「これでキースは本当に独りぼっちになってしまった」じゃないのですよね…。原作を読んでいた時に私がキースに肩入れしたのは、勿論好みのキャラだから、というのもあるんだけれど、日本人独特の「判官贔屓」もあるのかも、と今になって思ってみたり。銀英伝と一緒で、帝国も同盟も好きだった様に、ミュウの側も好きなんだけれど。ジョミーには彼を信頼してくれている仲間が沢山居るんだけれど、キースにはマツカしか居ない訳ですよ。そのマツカを喪ってしまったら、もう彼は本当に独りぼっちな訳で、それが私の心の琴線をかき鳴らしまくり、だったのかもしれません。
 今回のアニメ版のキースについては、正直性格がアレだから、孤立しても仕方ないとは思いますが(苦笑)アニメ版のマツカがキースに対して示している感情は、女が男に抱くものに近い、という気がするのですが。男だった経験を持たぬので、それってどうなの?と言われそうですが、「周りは悪く言うけれど、貴方はそんな人じゃない、私にだけは解る」「私が貴方を死なせない」「貴方を護りたい」「私が死んだら、貴方は泣いてくれる?」…って、どう考えても女の発想だよなあ、と。だからマツカは女の子でも良かったのでは、と今でも思います。そして仮に女の子になったとしても、キース×マツカで「漲るわあ~!」だったのは間違いありませんが。


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